広報紙「GREENS VOICE Vol.1」(2018.JUN発行)


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GREENS VOICE vol.1

 

講談師 神田 香織 Interview

 

闘いは明るく楽しくしつっこく
あきれ果ててもあきらめない
 講談師はジャーナリストと俳優を兼ねた現代の辻説法師

 漫画家・中沢啓治が自身の原爆被爆体験を元に戦中戦後の激動の時代を必死に生き抜こうとする主人公を描いた「はだしのゲン」をはじめ、2015年にノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチの「チェルノブイリの祈り」、フリーライター・吉田 千亜さんのルポルタージュ「ルポ 母子避難――消されゆく原発事故被害者」などを原作に、原爆・原発をテーマに独自の講談を繰り広げる神田 香織さん。
 その「怒り」を秘めた講談作品は、多くの人に原爆・原発の恐怖を投げ掛け、問題提起してきた。ここでは、大衆芸能である講談ならでは「底力」を武器に社会の矛盾や理不尽さと闘う彼女の生き方を再確認するとともに、常に明るく前向きで、笑顔が絶えない彼女の実像に迫ってみた。

 

【プロフィール】
1954年12月4日、いわき市生まれ。高校卒業後に女優を志し、東京演劇アンサンブル、渡辺プロダションドラマ部に所属。芝居の勉強の一環として、1980年に二代目神田山陽門下生となる。ジャズ講談や一人芝居の要素を取り入れた神田香織独自の講談を次々発表、講談の新境地を切り開いている。
1986年『講談はだしのゲン』公演で日本雑学大賞受賞。1989年真打ち昇進。 1994年いわき市に居を移し地域に残る民話や伝説を講談で掘り起こし地域興しに貢献。2003年再び東京都民となる。2007年より講談教室「香織倶楽部」を主宰しアマチュア講談師も育成中。日本演芸家連合加盟、講談協会会員。


 

講談には、庶民がスカッとするような分かり易さがある
悪人は滅びるという勧善懲悪の世界で、現代を模写

―― 最初に、講談の世界とは何か?! ということをお聞きしたいと思います。もちろん、伝統芸能の1つではあるわけですが、僕が強く印象に残っているのは、神田さんが主宰するNPO法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」のイベントで、沖縄のオジィやオバァが赴くままに踊ったり謡ったりしているのを目の当たりにして、あれは苦しさや厳しさから解き放されて自由になった瞬間だと感じました。そういう意味で、講談も庶民や民衆の怒りを代弁するという役割を担うために残っている芸能のように思えるのですが、いかがでしょうか?

神田 講談は昔から、庶民がスカッとするような分かり易さを追求してきました。いわゆる勧善懲悪で、悪いことをした人は必ず滅びるというストーリーが基本です。だから、聴き終わった後に、気持ちがすっきりしたという感じで残ってきたのかと思いますね。
それが講談の一般的な形です。例えば、忠臣蔵などが有名ですが、これもいまから300年前は“新作”でした。世の中に影響を与えた大事件をテーマに、誇張を入れたり、会話を創作したりしながら、心に響く物語にアレンジして、庶民や民衆に語り伝えていたわけです。つまり、古典の伝承とその時々の社会的な出来事を語り継いでいくという両輪があって、現在の講談界が成り立っているのだと思います。
実際には、古典を演っている人が多かったのですが、私が30年程前から「はだしのゲン」を演じるようになったこともあって、いまは戦争や社会派の噺を、皆さんがテーマとして扱うようになっています。そういう意味では、かなり風通しの良い世界になっています。
とは言え、伝統芸能ですから、現在も古い体質は残っています。しかし、相撲の世界で「女性は駄目」というように、理不尽な伝統は消えつつあります。講談も、以前は女性が少なかったのですが、いまは多くの女性が頑張っています。相撲協会も、見習うべきだと思いますよ(笑)

―― 女流講談師が増えているというのは、どういう意味を持つのでしょうか?

神田 私の師匠でもある2代目神田山陽という方が先見の明を持っていて、師匠は男性でしたが、女性も元気にやれる世界にしなくちゃ駄目だということで、女性の育成に積極的でした。実際に私を含めて5人の女流講談師を育て、彼女たちが順調に真打ちになると、必然的に女性のお弟子さんたちが増えていく。こういう好循環が生まれたという意味でも、2代目神田山陽が現在の講談界の礎を築いたと言っても過言ではないかもしれませんね。

講談を変えた?! 神田香織流新作講談の原点
「はだしのゲン」との出会いと熟させ方

―― 神田さんにとっては「はだしのゲン」の講談は、代表作であり、ライフワークの1つだと思います。戦後世代の神田さんにとって、戦争への思いが噴出したきっかけは、そこにあったのでしょうか?

神田 実は私、女優を目指していたんです。講談も芝居修行の一環として始めました。まず前座から始まって、それが終わるとプロへの門戸が開かれるのですが、その開放感もあって、サイパンに遊びに行ったんです。サイパンというとリゾートですが、実は戦跡もたくさん残っていて、戦争の傷跡を実感せざるを得ませんでした。
なかでも太平洋戦争の最中に日本軍司令部があったサイパン島北部のバンザイクリフという岬は、空も海も真っ青でとても美しい場所なんですが、激しい戦闘に追い詰められた日本兵や民間人が、アメリカ兵からの投降勧告、説得に応じず、80m下の海に身を投じて自決した悲劇の断崖(岬)でもあるのです。多くの自決者が「天皇陛下、万歳」、「大日本帝国、万歳」と叫び、両腕を上げながら身を投じたことから、戦後この名で呼ばれるようになったといいます。現在の天皇・皇后が、そのことを追悼して何度も足を運ぶ様子が、ニュースなどでも何度も報道されていますよね。
私も7,000人(総自決者は1万人とも言われている)もの人たちが、列をなして次々と飛び降りたという話を聞いて、とても動揺しました。そこに行くと、その姿を想像してしまうわけですよね。あの人たちは、どんな気持ちだったのかなと。それが、戦争のことを詳しく知ろうと思ったきっかけです。

―― 「はだしのゲン」を講談でやろうというのは、非常に画期的なことだったと思います。講談「はだしのゲン」は、どういう経緯で生まれたのでしょうか?

神田 サイパンから帰国してから、いろいろと人の話を聞いたり、書物や資料を貪り読んで、吸収・蓄積していきました。広島・長崎・沖縄など、日本の戦跡も隈なく歩きました。その際、私は敢えて1人で行きます。誰とも話せない中で、悶々としながら戦跡巡りを繰り返して、考え、イメージするようにしていました。
でも、さすがに広島・長崎は、あまりにも悲惨過ぎて、「これは、講談にはできないかもしれない」と思いました。そこで見つけたのが、「はだしのゲン」だったわけです。私自身は「週刊少年ジャンプ」(集英社)に連載されたころから読んでいて、ドキドキして興奮してくると同時に、何か不思議な力が湧いてきた記憶がありました。そこで単行本化された際に改めて読み直すと、その感触が再び蘇ってきました。多分、主人公であるゲンの酷い目に遭いながら、歯軋りしながら、「負けてたまるか!!」と立ち向かっていく魂の声が、私をそうさせたのだと思います。それで、愛おしいゲンを講談に登場させたいと思い、原作者の中沢啓治さんの許可を得ることにしました。
それで講談「はだしのゲン」が誕生したわけですが、何10年も演っていると、かなり変化もありました。最初はできるだけ原作に忠実にしていましたが、その後は講談ならではの伝え方を意識して、ストーリーの前後を入れ替えるなど、いろいろと工夫したり、アレンジしていきました。

原発に疑問を投げかけた「チェルノブイリの祈り」
それが現実に、しかも故郷で起こってしまった悲劇

―― 続いて、「チェルノブイリの祈り」という作品で、原発に関するメッセージを強く発するようになりましたね。原作はベラルーシ在住の女性ジャーナリストで、2015年ノーベル文学賞受賞者でもあるスベトラーナ・アレクシエービッチさんが書かれた作品で、講談にするのはかなり苦労があったのではないかと思います。

神田 「はだしのゲン」の初演は1986年8月8日でしたが、実は1985年のうちに会場を押さえて準備をしていました。当時はバブル経済に突入しようか否かという日本が浮かれ始めていた時期で、派手さのない講談に来られるお客様もそんなに多くはありませんでした。一方、まだ冷戦の時代も続いていて、そのような状況で戦争の噺ですから、周囲も半信半疑だったと思います。
ところが、その僅か4か月前、1986年4月26日1時23分にソビエト連邦(現:ウクライナ)チェルノブイリで原子力発電所の事故が起きたわけです。放射能が日本にも飛来し、大騒ぎになりました。そこで、原爆はもちろん、原発も相当に大きな問題だと改めて実感し、「いつかチェルノブイリの講談もやろう!!」と決意しました。
というのも、私は「原発銀座」がある福島のいわき市の生まれ。しかも、私が高校生の時によく遊びに行ったお友達の家は、最初の原発を建設する際の作業員の旅館でした。彼女のことを想い出しながら、「もし、福島がチェルノブイリのようになったら?!」と思うと、胸が締め付けられる思いで決意したのを覚えています。
原作の「チェルノブイリの祈り」に出会ったのは、2001年。著者のスベトラーナ・アレクシエービッチさんはその後、「我々の時代における苦難と勇気の記念碑と言える多声的な叙述に対して」という理由で2015年にノーベル文学賞を受賞するわけですが、日本では当時、ほとんど知られていませんでした。
まずは本の翻訳者の方にお願いして、アレクシエービッチさんに「日本の講談というジャンルで、同著を原作に表現活動をしたいアーティストがいる」と、メールを送るところからスタートし、快く許可をいただくことができました。
講談の骨子を成すご夫婦の話(「孤独な人間の声」の章)は原作のほんの一部。本では10ページ足らずの記述なのですが、そこに他の資料や私なりの解釈を入れて、約50分の噺に仕上げました。まさに私の事務所が総力を挙げた作品で、音響・照明を含めて、とにかく芸術性を追求していきました。例えば音響では、ロシア正教の音源を探してくるなど、細かいところまで徹底的に拘りました。

―― ところがその後、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震で、神田さんの故郷である福島において、同様の悲惨な事故が起こるわけです。

神田 皮肉なものですね。「チェルノブイリの祈り」を演じていた当初は、日本ではまだ大きな事故は起こっていませんでした。だから、日本人の多くは「ソ連だから起きた事故」として片づけていたんです。でも、私は心の底で「そうじゃない!!」と思って、行く先々で噺の最後に「日本でも大変な事故が起こった!!」と、その地域に近い原発を仮想事故対象にして、喚起するような演出をしてきました。例えば、静岡で演じるときは浜岡原発、九州なら川内原発、北海道なら泊原発というように……。ところが、それが現実に!! しかも、私が生まれ育った福島で起きてしまうのですから……。
あの事故は完璧に人災だったと言っても過言ではありません。地震で津波が来たらまずい!! というのは、前々から言われていたことなんです。ところが、「お金がかかる」という理由だけで放置し続けてきたのですからね。要するに、原発は市井の人たちなんか、「虫けら同然!!」と考えているような人たちの論理で進め、成り立ってきて、そしていまもなお、進めようとしているのです。

福島の現実を直視して、徹底的に追求
被災者のその後までを語り続ける執念とは?!

―― それから8年目に突入した現在、今度は被災者の方々の住宅支援が2017年3月末で打ち切らました。これに関して神田さんは、フリーライターの吉田 千亜さん原作の「ルポ 母子避難――消されゆく原発事故被害者 (岩波新書) 」を原作とした「福島の祈り、ルポ母子避難」 を作品にされていますが、どのような心境だったのでしょうか?

神田 精神的にも経済的にも、最も大変な目に遭っているのは女性と子ども。自殺者まで出ているのですよ。ところが、そういうところには目を向けず、自分のお友だちにばかり目をかけて、億単位の税金をつぎ込んでいるのが、現政権に他なりません。これって、逆じゃないですか?! 
実は、その背景には2020東京オリンピックがあります。現首相が「福島はアンダーコントロールされている」と世界に向かって堂々と言い放って誘致しただけに、福島のことは早く「終わったこと」にしたいんですね。つまり、被災者の住宅支援を打ち切り、戻る人は戻る、そうじゃない人はどこへでもどうぞ、というように決着を付けたくて仕方がないのです。
本来ならば、チェルノブイリ原発事故から学んだ教訓を活かすべく政策が、まったく逆の方を向いている。これって、不思議じゃないですか⁈ まさに「この国の正体を見た」というように感じました。
そこで、「福島の祈り、ルポ母子避難」を作品にして、最近では朝日新聞記者の青木 美希さんが書かれた「地図から消される街 3.11後の『言ってはいけない真実』」(講談社現代新書)の要素も取り入れながら演じています。母子避難の話はリアリティがあり過ぎて、聴いている人には少し重すぎるテーマではあります。それに加えて、講談独特の高揚感溢れる語り口となるので、嗚咽を漏らす方も多いんです。皆さん、被災当時を思い出しちゃうのかなぁ……? 幼い子どもがこの講談を聴いて泣き出した時は、正直、心が痛みました。でも、やっぱり演じ続けるしかないのかぁって思います。

―― 福島に関しては、NPO法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」を主宰されていますが、その活動についても教えてください。

神田 1つは、被災地を巡るツアー。最近では2年続けて飯館村を訪れて帰還前と帰還後の現実を視察。また、原発事故の生き証人である被ばく牛300頭とともに原発を乗り越える世の中を目指す双葉郡並榎町の「希望の牧場」を見学したり、地元で活動している人たちの話を聞いたりする活動を続けています。
一方で、福島在住の方に来ていただく講演会も随時実施しています。やはり、首都圏に暮らしている方たちに、福島の現場の声を届けて知ってもらうということも、意義深いと思っています。

強行突破で続々と悪法を成立させた安倍政権
モリカケでの綻びで、因果応報となるのは必然!!

―― さて、いよいよ現在の安倍政権について、神田さんなりの印象を教えてください。

神田 安倍さんに関しては、「腹立たしい」の一言に尽きます。だって、反対する人が多い中で、議論を尽くすことなく、常に強行採決でさまざまなことを決めてきたじゃないですか!!  集団的自衛権を行使できるようになる安保法(安全保障関連法)然り、「知る権利」を侵害して都合が悪いことを堂々と隠せる秘密法(特定秘密保護法)然り、表現・結社の自由を奪う共謀罪(組織的犯罪処罰法)然りです。法律だけではなく、武器輸出の三原則に関しても、かなり緩和した新原則を閣議決定。いずれも、国民の声を無視して、数の論理だけで突破しています。
で、どこまで、こういう非民主的なことに付き合わされるのかなぁと思っていたら、「モリカケ」でボロが出たじゃないですか。因果応報だなって思いました。
例えば、前財務省の佐川宣寿さんが矢面に立たされたモリカケ国会。エリート官僚のはずの佐川さんが虚偽を貫き通そうとする姿は怒りを通り越して滑稽でもあり、これからどうするんだろうと、心配さえしてしまいました。彼は、同じいわき出身で、応援大使までしていた人ですからね(笑)。早くにお父さんを亡くして、苦労の末に東大に入って、言ってみれば福島、いわきの誇りみたいな存在だったのですが、結局はこうなってしまった。一体、何が彼をこうさせたのか?! と思ってしまいます。そして、国会での証人喚問でも真実を語らず、このまま検察が起訴しなければ、彼は大きな有耶無耶を抱えながら、しかも顔だけは有名になって、これからの人生を生きていくしかないのかなぁと思うと少し寂しい気もします。
とはいえ、1つの突破口を創ったのが、佐川さんの存在。彼が忖度か何か知りませんけど、嘘をつき通そうとしたことが、結果的に膿を出し切ることにつながればいいと願っています。変な言い方ですが、それはそれで彼の実績なんだと思います。
いずれにせよ、今日に至っては、次々と日替わりで負のメニューが出てきています。いま大忙しの松元ヒロさんのように、芸人がネタにしたくなるような話題が毎日のように降ってきます。
しかも、皆さんキャラクターが濃い(笑)。セクハラ疑惑の前財務省事務次官の福田淳一さんにしても、あれだけのキャラが真顔で「自分の声かどうか判らない」というのですから、必然的にテレビのワイドショーや週刊誌に追いかけられる。でも、これを機会にいままで我慢していた女性たちが声を上げ、堂々と仕事ができるようになったら、これはこれで福田さんの実績ですよね(笑)。
そういう意味で、いまは変わっていく狭間にいるのかなぁと思います。だから、ここで気を緩めちゃいけない。笑ってばかりじゃなくて、笑いながら現政権が息を吹き返さないように牽制していかなくちゃいけないと思います。
次の選挙では、まだ与党が勝つかもしれません。でも、議席数は減らす。だから、相手が勝つから諦めるんじゃなくて、減らすんだからいいじゃないか!! っていうスタンスも大事だと考えます。

講談を広めつつ、次代の担い手を育てる「香織倶楽部」
温故知新で明治維新と現代の関係性にも迫る

―― 今度は神田さんのもう1つの顔、「講談500年の話芸のエキスを現代へ!」というキャッチフレーズで、素人さんを含めて多彩な方を育てていらっしゃる講談サロン「香織倶楽部」について、お話しください。ここでは、いわゆる師匠となるわけですけど、エピソードもたくさんあるんじゃないでしょうか。

神田 「強きをくじき、弱きを助ける」講釈師は、その昔「ジャーナリスト」でもありました。また、何役も演じる講釈師は「俳優」でもあります。さらに大正デモクラシーの頃は、辻々で熱く政道を説く「弁士講釈師」もいました。とはいえ、「香織倶楽部」のモットーは、「楽しみながら、うまくなる!!」。なので、発表会でも、唄ったり、踊ったりと、あまり講談らしくない(笑)。
お弟子さんたちは決して若くはありませんが、ノビノビと子どもの頃に戻ったような気持ちで、自分を発散させていますので、楽しんでいただけているのではないかと思っています。
それに皆さん、結構勉強もされていて、いろんなテーマに取り組み、「考える」ということをやられています。お弟子さんには素人であっても、「織」の字を付けた芸名があって、彼ら彼女たちが自主的な活動をされるようになり、また人数も増えてきたことは、非常に喜ばしいと感じています。
そこで私はいま、もう1ステップ活動の「質」をあげていこうと考えています。「本郷文化フォーラム」という40人規模を収容できる活動拠点も確保でき、そこでは講談はもとより、映像などの他のイベントとの融合もできるので、いろんな試みにチャレンジしていきたいと思います。
具体的には、月に1回程度で発表の場を設け、これを定期的に続けていくことが決まりました。ここでは、持ちネタがなければ、いま世の中で起きていることを自分流に解釈して噺にするなど、できるだけ多くの人に発表してもらうつもりです。

例えば、今年(2018年)は明治元年(1868年)から起算して150周年に当たり、 政府も一体となって、懐古主義の「明治150年」関連施策を推進しています。しかし、私はこれはとんでもないことだと考えています。明治と言えば文明開化ですが、実際にはすでに江戸時代から文明の開化は始まっているんですよ。そして、その頃の方がのびやかで自由で、多くの天才を生み出す土壌がありました。ところが、明治維新における国威高揚の民族主義が、さも文明開化を成し遂げたようなデタラメな価値観ばかりが横行してしまっているのが実情です。ですから、まずこれをシリーズでやってみたい。
それから、会津藩の戊辰戦争。王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った戊辰戦争は、新政府軍優勢の後、白虎隊で有名な会津戦争という局面を迎えるわけですが、実際には会津藩は天皇に対して恭順の意を示しており、藩内で藩内では戦争を回避しようという話し合いが持たれていたのです。ところが新政府軍の手は緩むことなく、結果的に多くの若者が自刃する悲劇を生むわけです。白虎隊っていうのは、武家の男子からなる16歳、17歳の少年部隊ですよ。実際にはもっと若い人たちも含まれていて、本来は戦争に行かなくて済んだ志願兵も多く含まれていたと言います。
いま、ラジオ福島の番組で、「会津の戊辰物語」というのを週に1回、10分間ずつシリーズでやっているんですが、幕末のことを勉強すればするほど、虚しさが滾ってくるんです。本来、近代化と西洋化は別はずなのに、明治政府はそこをはき違えて日本の素晴らしい文化を捨てて軍国主義へと突っ走っていく。つまり、日本の近代化のことを本当に純粋に考えていた人たちを切り捨てていった結果が、今日の体たらくを招いている。実は明治維新からつながっているじゃないかと思うわけですよね。
つい最近、大相撲で女性を土俵から排除していることが問題になったじゃないですか。あれだって、決して伝統ではなく、明治に入ってからなんです。日本が西洋に誇れるものが相撲くらいしかないと考えたため、その権威付けとして、そうなったらしいです。意外かもしれませんが、女相撲は古代から存在していて、江戸中期には興行として流行ったくらいなんですからね。
このように、世の中には講談のネタがたくさんあります。だから、香織倶楽部の面々には、そういうスタンスで月1回の発表を行ってもらいたいと考えていて、皆さんもやる気満々です。活動・活躍の場が増えることによって拡がりが生まれ、もっともっと多くの人たちに携わっていただきたいと思っています。

怒りの「世界観」を自身で構築し、演じる講談に、
笑いと健康とマッシュアップしながら、闘い続ける

―― 世の中には映画や音楽、小説といったさまざまな表現手段がありますが、その中で講談の強みって、どこにあるのでしょうか?

神田 「世界観」というのを、たった1人で構築して、演じ切れるということに尽きるのではないでしょうか? 自分の世界を追求して噺を解釈したり作って、自分で語る。もちろん、お客様はいますけど、すべて自分1人で完結できるんですよ。これは古典と新作、プロと素人を関係なしで言えることだと思っています。


―― その意味で、プロの道へと歩む2人のお弟子さん、神田織音さんと神田伊織さんは、どんな感じですか?

神田 織音は落語家さんたちとのパイプも太く、古典を中心に演っていますが、同時に「福祉講談」というジャンルも築きつつあります。私とは違う路線ですが、よく頑張っていると思います。
伊織の方はまだ前座ですが、香織倶楽部からプロの道に進もうとしている、私の周りでは貴重な男性講談師です。「段取りが悪い」と周囲からいつも怒られる立場ではありますが、元々、戦争体験者のお祖父ちゃんから話を聞くのが好きで、講談で東京大空襲を語りたい!! という夢を持って入門してきていますから、根性がしっかりしています。東京大空襲を語るのは二つ目になってからでしょうけど、着実に力をついてきているので楽しみです。

―― 最後に神田さんの今後の目標を教えてください。

神田 先ほどお話ししたように、明治維新をテーマに現在とのつながりを噺として語っていきたいと考えています。もちろん、福島も語っていきますよ。
また、ご存じない方も多いかもしれませんが、実は現在、ヨガと笑いをフュージョンした「笑いヨガ」というのに取り組んでいます。いまの日本は政治家や官僚の体たらくによって、「もう終わっているんじゃないか」と思えるくらい酷い状態です。それだけに世知辛く、生きにくく、不安定だと感じていらっしゃる方も多いのではないでしょうか? そうすると、ストレスが溜まって免疫力がどんどん落ちていき、身体も気持ちもやられてしまいます。でも、嘘でもいいから笑っていると、脳がホンモノの笑いと勘違いして、全身に血液が循環して免疫力を高めるんです。
これは、あるお医者さんが考案した予防医学というか、治療法で、なかなか面白いと感じて、私も1年位前からやってみると、身体にいいことが実感できたんです。呼吸法も取り入れながら行うのですが、心の底から笑うと酸素や血液が身体の隅々まで巡って、不思議とスーッと肩の荷が下りたような感じになるんですよ。講談は怒りがテーマですが、怒りの講談と笑いのヨガでバランスをとって、皆さんに提供していけたらいいなぁと思っています。
この療法はまだまだ知名度はありませんけれど、ますます高齢化社会になっていく中で、意味あることにならないかなと考えています。講談と表裏一体の関係を築ければ、面白いものになるんじゃないかと確信しています。
いずれにしても、「闘いは明るく楽しくしつっこく あきれ果ててもあきらめない」こそが、私のモットー。今後も講談を武器に、そして笑いありのイベントなどを通じて、闘い続けていきますよ。是非、皆さんもご一緒に!!

 

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